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4月
04

観光タクシードライバーの小噺  竹林と竹の子3

京都観光タクシーのご案内/京都観光タクシー同友会

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◆竹と漢字について
大昔、紙のない時代に、中国では文字を書きとめるのに使われたのは竹簡です。竹簡は、幅3センチ、長さ30-40センチの竹片で、緑の表皮を削り取った後の表面や内側に文字を書いたようです。日本ではどの遺跡からも竹簡は出土していませんが、竹簡の代わりに木簡を使用したようです。筆という字は、竹カンムリに手に筆をもっている形を画いた文字です。生活に大切な文化的な字に竹カンムリの漢字が多いのは、このような理由によります。余談になりますが、「笑」という字は竹に直接には関係はありませんが、孔子が、「わらう」という字を、どんな漢字にしたらよいか分からず、思案のあまり、困り果てていました。ちょうど会議中にたまたま犬が竹の屑籠をかむって出てきた。その様子がいかにもおかしかったので、傍らにいた人達が皆、どっと笑った。そこで孔子は、はたと膝をたたいて、犬に竹カンムリをつけて「」という漢字を作られたと言います。
◆かぐや姫の里は大原野?
《竹取翁が竹やぶの中で竹伐りの仕事をしていると、光っている竹があり、これを伐ってみると中から、三寸ばかりの小さな、いとも美しい稚児が現れた。そこで翁は手のひらにのせて家に帰り、妻に育てさせた。大事に養ううちに稚児はスクスクと大きくなり、三月ばかりで大人に成長し、絶世の美女となった。そして三室戸の斉部(いんべ)のあきたを呼んで、「かぐや姫」と名をつけてもらった。それから美しい「かぐや姫」は評判となり、貴公子五人が結婚を申し込む。その名は「石作りの御子」他四名であった。》というお話しですが、物語の当時大原野には、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖とし、石棺づくりなどを務めた石作族が健在であった。そこで物語に登場する「石作りの御子」はその一族の一人で、持統天皇時代の右大臣として国政を補佐した人でなかったか。さらに「かぐや姫」の名付け親、斎部のあきたは、三室戸に住んでいたなどと、舞台はぴったり。かぐや姫の里は大原野。
◆神代の竹の話
日本書記によると、天孫ニニギノミコトの妃、コノハナサクヤヒメが皇子を生んだとき、竹刀(竹のへら)でもって「へそのお」を切ったと記されています。昔、「へそのお」を切るには金物を嫌い、切り口が鋭利で清浄な竹を用いたとは、うなずけるものがあります。また、それを切るのに、男の子が生まれたときには雌竹を用い、女の子が生まれたときには雄竹を用いたとは、さもありなんと思われます。雄竹と雌竹の名は竹に雌雄を参照。
◆地震のときは竹薮へ
竹林が防災に強いわけは、その地下茎にあります。竹の地下茎は毎年先へ先へと伸び広がり、毎年生死が繰り返され、毎年同じぐらいの生きた地下茎が広がっていきます。だいたい60cmぐらいの深さの土中にネットを重ねたように広がっています。土砂崩れに強い理由です。大雨が降っても一部の水は土中に浸みこみ、土石の流出を防ぎます。その他、林立する地上の竹は、強い弾力性で暴風雨のとき倒れを防ぎ、空洞で風を和らげたり、竹の多くの緑葉が熱風をそらすので、ここに逃げたものは死を免れるといいます。

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