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4月
16

観光タクシードライバーの小噺  お酒5

 京都観光タクシーのご案内/京都観光タクシー同友会

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◆伏見の酒
伏見の酒の起源は定かではないが、秀吉が伏見城を築き、城下町ができるにおよんで、ようやく酒の需要が高まった。しかし、伏見の酒造業は、全国的にはそれほどの勢力ではなく、江戸時代までは地酒の地位にとどまっていた。明治になり東海道本線の開通により、伏見の酒造家たちは、いちはやく東京市場への売り込みに努力した。明治44年、全国清酒品評会において、伏見酒28銘柄のうち、23銘柄が入賞をはたし、なかでも、「月桂冠」が最優秀賞を得てから、伏見の酒は灘酒、奈良酒などの一流銘柄の仲間入りすることとなった。平成3年全国の出荷量の内、伏見の酒は12%、灘の酒は14%。

◆大倉酒造(月桂冠)の功績
大倉家11代当主・恒吉、木村清助らは、東海道本線開通後、いちはやく東京方面への販路開拓を始めた。また、伏見酒造組合を結成し、伏見の酒の品質の向上をはかり、経験と勘だけに頼っていた酒造りに科学を導入、技術者や杜氏たちの努力によって、前項目にある全国清酒品評会で伏見の酒は輝かしい成績をおさめその名声は全国に広まった。昭和36年、月桂冠は、江戸時代以来つづいた冬季だけの「寒造り」から近代的な「四季醸造」への道へと、業界のトップを切り、また、杜氏・蔵人による一季醸造から社員による年間醸造へと一大転換をはかった。現在の伏見の酒は、大倉酒造(月桂冠)とともに歩んできたといってよい。
◆軍部に勝った伏見の酒!
伏見とは、伏水という意味で豊かな地下水をあらわしている。伏見の酒はその旨い水から造られる。その地下水に危機がおこった。昭和3年、昭和天皇即位の御大典が御所で行われることになり、京都に集まる大勢の人々を奈良へも誘うべく、奈良電鉄が計画された。ところが、軍部は伏見の町の北部にある練兵場を地下鉄にして潜ることを要求した。伏見の酒造界は地下水脈が絶たれると立ち上がって反対した。結局、軍部は伏見の酒造界の意見を聞き、計画の変更に同意したという。世間の人々は帝国陸軍に勝てるのは伏見の酒だけと感嘆したという。

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