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4月
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観光タクシードライバーの小噺  焼きもの4

◆茶の湯が京焼を作った!
茶の湯の流行を背景に京焼は誕生した。茶の湯の多様な嗜好は、陶工にさまざまなやきものを作らせた。そこには、茶の湯者の嗜好に応じる技と、豊かな感性が必要であり、京焼はすぐれた陶工と陶芸作品を生み出した。各地のやきものは、土を基礎にして特色をもっているが、京都には土がない。土に代わるものが、京都の歴史と文化。京焼は各地の陶芸の技が集まって成立している。
◆京焼・清水焼の違い?
京都で焼かれた陶磁器を京焼というが、一般的には、桃山時代から京都で焼き始められた近世を代表する都会的な陶磁器をさす。粟田口焼、御室焼、清水焼、黒谷焼などを総称して京焼と呼ぶ。京焼が独特の風格をもつようになるのは、江戸前期の野々村仁清や尾形乾山が登場してから。江戸時代中期、1771年、清水六兵衛が五条坂に窯を築いてから清水焼が発展、京焼の最大の生産地となる。京焼のもう一方の系統である粟田焼は高級陶器を中心に生産していたが、大正期以降衰え、清水焼が京焼を代表する。現在の京焼の原料は陶器では信楽の土、磁器では出石・天草の陶石を用いるといわれている。
◆朝鮮出兵と焼きもの
秀吉の朝鮮出兵は、焼きもの戦争と呼ばれる。兵を引く際に、九州の大名たちはきそって朝鮮人陶工を連れ帰った。当時、茶の湯は高い教養であり、文化であった。いい茶碗を藩内で焼かせたいという藩主の願いが、強制的に朝鮮から陶工を移住させることになった。有田焼・磁器の祖である、鍋島藩の李参平は特に有名。

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