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5 月 22 2008

観光タクシードライバーの小噺  京都の路7


【洛中 南北路(先斗町~佐井通)-1

  • 【先斗町通】この通りができたのは、1668年鴨川の大規模な改修が行われてから。「先斗」を「ぽんと」と呼ぶのは難読であるが、この読みはポルトガル語のポント(先の意味)に起因するという。もともと、改修以前からこのあたりは、「御崎(みさき)」と呼ばれ、それをハイカラ風に呼んだものと言われている。また、その御崎は「さきばかり五軒町」と呼ばれ、「さきばかり」=「先斗」という当て字になったとも。なお、四条通りより南側は、石垣にちなんで、【西石垣(さいせき)通】と呼んでいる。
  • 【木屋町通】高瀬川の開通(16111613)に伴って造成された通り。はじめ、樵木(こりき)町通と通称されていたが、現在の名になったのは江戸中期頃の事である。通り名は、この道筋に材木、柴、薪、炭を扱う店が多かったことによる。明治28年には、平安遷都1100年記念行事の会場(岡崎地区)アクセスに高瀬川を約1m埋め立て、道路を拡幅して、日本最初の市街電車が開通した。
  • 【河原町通】秀吉の京都大改造後に開かれた道である。この通りの西側には「お土居」が走っていて、東側は鴨川に続く広い河原であった。高瀬川の開削の成功により、その広い河原が開発の対象となり、都市化を進め大きく変化した。その後、鴨川の新堤が築造(166173)されると、この通りはいっそう注目されはじめ、市域が拡大し、18世紀中頃には、河原町通りは丸太町通りから松原通りまで到達した。
  • 【新京極通】通り名の由来は、西側の寺町通りが平安京の東京極大路にあたるためと思われる。この通りが誕生したのは、明治五年。それまでは、誓願寺、金蓮寺の広大な境内であったが、ほかにも【裏寺通】の両側に20数か寺の寺院があり「寺の町」を形成していた。江戸時代、芝居小屋、見世物小屋が寺の境内に立てられるなどして、多くの参詣人を招き寄せて、すでに盛り場的様相を示していた「寺の町」であった。しかし、明治維新の宗教政策、廃仏毀釈の影響で、このあたりを寂れさせてしまうことになり、失われた賑わいを呼び戻そうとして計画されたのが、この通りです。

 


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