【洛中 南北路(先斗町~佐井通)-3】
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【堺町通】1590年に開通された比較的新しい通り。通り名の由来は、戦国期には高倉通までしか人家がなく、この通りにあたるところが「原」と「町」の堺だったからと言われている。
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【高倉通】平安京の高倉小路にあたる。通り名は、この通りの北域に、高倉殿などの貴族の邸宅、臨時の内裏が並んでいたことに由来しているものと思われる。
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【間之町通】秀吉の京都改造以後にできた通り。高倉通と東洞院の間にできた通りなので、間之町通と通称された。
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【東洞院通】平安京の東洞院大路にあたる。通り名の由来は、天皇が即位した後の住居を「洞院」と言い、この大路にはその名称にふさわしい院や内裏が堂々と構えられていたためと思われる。この通りは、後に竹田街道へ連なる幹線道路となったために、江戸中期になると、交通渋滞がピークに達し、町奉行所はこの通りを北行き一方通行とした。日本で最も早く、一方通行規制がこの通りから始まった。
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【車屋町通】秀吉の手による産物である。通り名の由来は、輸送業者や車鍛冶が集住していたことによる。と、いうのは隣の東洞院通が古代以来の車道であって、竹田街道に直結していたため、車の多さは大変なものであったという。
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【不明門通】通り名の由来は、因幡薬師堂(平等寺)の松原通に南面してあった門が、常に閉ざして開かなかったためといわれる。このお堂は平安期より存在しており、革堂・六角堂・千本釈迦堂とともに京の「町堂」として古くから信仰されていた。その門が開かないとすれば、やはり不思議で、通り名になりそうである。


