6 月 08 2008

観光タクシードライバーの小噺 日本庭園2

日本庭園について2

【枯山水庭園】

 枯山水とは、自然風景を石組みを主として表現した庭園の形式。日本は古来より池庭に島を浮かべる山水の写しを庭園の基本としてきたが、水そのものを素材として用いないことによって、ことさらに自然から離れ、その表現を象徴的なものにした庭園。水のない内陸の土地では、池庭を造ることが極めて困難であり、それでも水の表現を希望したために枯山水の形式が生み出されたとみられる。枯山水庭園は、その敷地が山辺であるか、平庭であるかによって桃山時代以前の前期式と、それ以後の後期式の二種類に大別できる。

  • 枯山水は古墳から!(前期式枯山水)山の斜面に造られる石組を配した庭園を前期式枯山水という。※『作庭記』には、古墳の石室近くの作庭に端を発し、それらの巨石が容易に取り除くことができなかったために、逆にそれらを庭に生かしたことが記されている。枯山水庭園は古墳の石が誕生のきっかけになったと考えられている。そして鎌倉時代、新興仏教の禅宗が伝来し、その特有の自然観から石立僧と呼ばれる僧侶が石組みを造りはじめる。中でも有名なのは、夢窓疎石であり、彼の造った西芳寺石庭は、前期式枯山水の代表作といわれている。《※『作庭記』→平安時代後期、世界最古の庭造りのテキストで作者は不詳》前期式枯山水⇒天龍寺・西芳寺・法金剛院など
  • 禅宗寺院と枯山水(後期式枯山水)平坦な地面に石を立てた庭のことを後期式枯山水という。室町時代・応仁の乱のために京都が焼け野原となり、その経済的無力が手伝って、従来の池庭とは全く異なる枯山水の形式が定着したと考えられる。しかし、単に水を引き入れ、池を掘り、木を植えるという造園作業の難しさだけではなく、枯山水は池や川の流れや滝などの風景要素が概念的に表現でき、禅思想の表現の一つとして、禅院の書院や方丈に接する狭小な庭にもっとも適した庭の様式としてもてはやされたと思われる。枯山水には自然風景式庭園にみられるような遊びの要素は全くない。後期式枯山水⇒南禅寺方丈・金地院・大徳寺方丈・大仙院 ・ 竜安寺・妙心寺・退蔵院・円通寺など
  • 石のない枯山水はない!石のない枯山水はない。中国の奇岩珍石の愛玩鑑賞や山水画が、日本庭園に絶大な影響を与えたことは推測にかたくない。その中国の影響とは別に、禅思想が輸入されるはるか以前から、日本人は岩石の中に何か精神的なもの、神聖視する気持ちを感じている。岩にしめ繩をはったり、神社の御身体が磐座であったりする。そのような日本人の一般の傾向が基礎になって、禅寺に石庭を作り出すことになったかもしれない。
  • 庭の白砂は何のため?元来、禅宗寺院の方丈南庭は、もともと一木一草のないのが本来の姿であった。砂は庭に雑草が生えたり土が雨のためぬかるんだりするのを防ぐためのものであり、また、白砂が反射する光りは屋内を明るくするのにも役立った。また、貴人の訪問に際してはその通り道に砂をまいた。庭は仏教儀式をとり行うための広場であった。しかし、鎌倉から室町にかけて建築が発達し、儀式や行事が屋内で行われるようになると、庭は使われる空間から見られる空間になったという。白砂だけの庭に石をおき、植物を植えた。
  • 参考文献「日本庭園のみかた」宮元健次著

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