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6月
27

伏見人形について

 【伏見人形】

伏見人形を始めたのは、深草に住み大和朝廷の器を作っていた土師部(はじべ)の子孫あるいは、瓦職人など諸説あり、よくわかっていない。

ただ、伏見稲荷大社は元来「稲がなる」、つまり五穀豊穣の神で、稲荷山の土を田畑にまけば穀物がよく実るという信仰が古くからある。その土で「つぼつぼ」と呼ばれるおもちゃの器、鈴、ひいては人形を作り参道で売るようになったという。

文献では、1582年(天正10)に稲荷社に参り、つぼつぼを買ったという「言経卿記(ときつねきょうき)」の記述が古く、17世紀以降「京都名所案内」などで狐、でんぼ(菓子などを入れるこども用の器)などの土産物が紹介されている。

伏見人形は型を使うことで量産を可能にしたといい、前後二つの型で作るという特徴がある。各地の土人形の初期に、この型が使われており、伏見人形は土人形の源流といわれている。

伏見人形の最盛期は江戸時代の中期から後期で、庶民の生活に安定と余裕が生まれ、全国から稲荷社に参拝者が訪れ人形を購入したようである。往時は50~60軒の窯元があったようだが、明治以降は、ブリキなどの玩具に押されて衰退し、現在は、1750年創業の丹嘉と約30年前から窯元になった稲山庵、休業中の一軒のわずか三軒となった。

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