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5 月 27 2008

観光タクシードライバーの小噺 京都の路12


【洛中 南北路(先斗町~佐井通)-6

  • 【油小路通】平安京の油小路にあたる。通り名の由来はわからない。この通りは、千本通りに次いで南北に長い通りで、秀吉が「お土居」をめぐらしたときに、その中心線を油小路通りにおいたと言われている。
  • 【醒ヶ井通】通り名の由来は、左女牛井跡による。左女牛井は、もと源氏の堀川館の井戸と言い、あたりに住んだ室町中期の茶匠村田珠光がこの水を好み、足利義政にこの井戸の水を汲んで献茶したと伝える名水の井戸のこと。
  • 【堀川通】平安京の堀川小路にあたる。京都の中央部を南北に貫く堀川に、その名が由来する。堀川の水源は明確ではないが、平安京造営以前まで、鴨川がこの川筋を流路したという説がある。先の戦争の終戦間際に、空襲による火災の類焼防止策として西側の民家が強制疎開、幅50mに道路に拡張され幹線道路となった。
  • 【岩上通】秀吉の京都大改造後の通り。通り名の由来は、六角下ル岩上町に、「岩上神」を祀る岩上宮と中山神社(石上寺)があることによる。岩上は岩神とも。
  • 【猪熊通】平安京の猪熊小路にあたる。平安時代のれっきとした通りであるが通り名の由来はよくわからない。猪熊通りは当初から「猪熊」であったかどうか、鎌倉期に書物には「猪隈」と書かれている。
  • 【黒門通】秀吉の都市改造後の通り。通り名の由来は、秀吉の聚楽城の鉄門があったためと思われる。
5 月 26 2008

観光タクシードライバーの小噺 京都の路11


【洛中 南北路(先斗町~佐井通)-5

  • 【新町通】平安京の町尻小路にあたる。町尻小路とは近衛大路~中御門大路間に修理職町があり、その北側を町口、南側を町尻と言ったことによる。修理職町とは宮中の修理事業一切をつかさどる工人たちの町。町尻小路がいつ頃から「新町通」の名で呼ばれるようになったか不明であるが、『京町鑑』には「新町通」の名が見える。この通りが商いの通りとして発展し、にぎわった為ではないだろうか。
  • 【釜座通】この通りは1590年に新開されたされた通り。通り名の由来は、三条通りあたりに釜座があったことによる。鎌倉時代より釜座の存在がすでに知られており、現在も、大西家という京都ではもっとも古い釜師が仕事を続けている。
  • 【若宮通】北域では【釜座通】。この通りの由来は、六条西洞院にあった若宮八幡の神領を貫いてつくられたところから、そう名付けられたという。若宮八幡は現在、五条大和大路東入ルに移転しており、その後、住民が祀った神社が鎮座している。
  • 【西洞院通】平安京の西洞院大路にあたる。建設当初は、幅員24mの大道であり、通り名の由来については、東洞院通りを参照。
  • 【小川通】秀吉の都市改造によって登場した新道。この辺を南流する小川があったことによる。この通りは、高辻以南、【天使突抜通】または【東中筋通】とも呼んでいる。
5 月 25 2008

観光タクシードライバーの小噺  京都の路10


【洛中 南北路(先斗町~佐井通)-4

  • 【烏丸通】平安京の烏丸小路にあたる。通り名の由来はわからない。烏丸通は現在「からすま」と呼んでいるが、正式には「からすまる」である。この小路名からとった元貴族の烏丸家は「からすまる」と発音する。この小路には、藤原氏一族の邸宅があり、しばしば「里内裏」という臨時の内裏となった。本来の内裏が火災によって消失すると、天皇が皇后などの実家に避難、その臨時の内裏が固定され、烏丸小路以東に定着、現在の京都御所は、この里内裏すなわち藤原氏邸を出発点としている。
  • 【両替町通】この通りが開通したのは1590年のこと。通り名の由来は、徳川家康によって、この街路に江戸とともに金座が設けられ、また、後には伏見にあった銀座がここに移転させられ、金銀および金融に関係する業者たちがこの通りに軒を並べたことによる。
  • 【諏訪町通】北域では【両替町通】。この通りは二つあって、東西の通りに面して諏訪神社が鎮座していたので、「すわのとおり」と呼ばれていた。また、その南北の通りも、諏訪町通と呼ばれ混同していたが、区別して「すわのちやう」といった言葉が変化して、「すわんちょう」になったように思われる。現在、東西の通りは【的場通】と通称されている。
  • 【室町通】平安京の室町小路にあたる。通り名の由来はわからないが、室町時代の名の由来は室町通り今出川の東北側に室町幕府があったから。奈良、平安、鎌倉、江戸の各時代の名前はその都市の名前によりますが、「室町時代」は室町通りと言う通り名によります。伝統と由緒のある通りです。
  • 【衣棚通】秀吉が開いた小路。通り名の由来は、三条上ル町に袈裟法衣を商う店が多く有り、衣店(ころもだな)と言ったことによる。後に店が棚に変わった。
5 月 24 2008

観光タクシードライバーの小噺  京都の路9


【洛中 南北路(先斗町~佐井通)-3

  • 【堺町通】1590年に開通された比較的新しい通り。通り名の由来は、戦国期には高倉通までしか人家がなく、この通りにあたるところが「原」と「町」の堺だったからと言われている。
  • 【高倉通】平安京の高倉小路にあたる。通り名は、この通りの北域に、高倉殿などの貴族の邸宅、臨時の内裏が並んでいたことに由来しているものと思われる。
  • 【間之町通】秀吉の京都改造以後にできた通り。高倉通と東洞院の間にできた通りなので、間之町通と通称された。
  • 【東洞院通】平安京の東洞院大路にあたる。通り名の由来は、天皇が即位した後の住居を「洞院」と言い、この大路にはその名称にふさわしい院や内裏が堂々と構えられていたためと思われる。この通りは、後に竹田街道へ連なる幹線道路となったために、江戸中期になると、交通渋滞がピークに達し、町奉行所はこの通りを北行き一方通行とした。日本で最も早く、一方通行規制がこの通りから始まった。
  • 【車屋町通】秀吉の手による産物である。通り名の由来は、輸送業者や車鍛冶が集住していたことによる。と、いうのは隣の東洞院通が古代以来の車道であって、竹田街道に直結していたため、車の多さは大変なものであったという。
  • 【不明門通】通り名の由来は、因幡薬師堂(平等寺)の松原通に南面してあった門が、常に閉ざして開かなかったためといわれる。このお堂は平安期より存在しており、革堂・六角堂・千本釈迦堂とともに京の「町堂」として古くから信仰されていた。その門が開かないとすれば、やはり不思議で、通り名になりそうである。