10 月
29
2008
東寺の秋の風景

【ピラカンサスの実】

【カリンの実】
【東寺(教王護国寺)】
延暦13年(794)の平安遷都後、東寺の造営がはじまります。工事なかば823年に、嵯峨天皇から空海にお寺が勅賜され、真言密教の根本道場となります。平安末期、源平の争いで荒廃しましたが、文覚上人が復興に努力、源頼朝の援助を得て再建が行われたといいます。しかし、1486年、土一揆の群集が境内にたてこもり、伽藍のほとんどが焼失。現在のおもな伽藍はその後から江戸初期にかけての再建です。平安時代から当初建立の位置もかえず、1200年以上もお寺が、そこにあり続けている現実は、京都の誇りとでもいいましょうか、驚愕するものといえるでしょう。
10 月
28
2008


【大覚寺門跡の嵯峨菊】
【大覚寺・嵯峨御流】
大覚寺門跡の玄関に嵯峨菊の花が飾られていました。まだこれからだと思いますが、ほんの少しだけ花が咲いていました。由来については、嵯峨天皇が大沢池の菊ケ島に自生していた野菊を持ち帰り、花瓶に投げ入れたところ、その趣が「天、地、人」の姿になったと云われ、「後世、花を愛でる者は、これを範とすべし」と仰せられたといいます。このことから大覚寺は「いけばな発祥の地」ともいわれて、嵯峨御流の家元となっています。菊ケ島に自生していた嵯峨菊は、品種の改良がおこなわれ、独特の花弁の形を持ち、一鉢に三本を立て、花は先の方が3輪、真ん中が5輪、下の方に7輪と七・五・三に花をつける独特な形をしています。本番は11月初旬でしょうか。
10 月
28
2008

【源光庵のモミジ】

【常照寺のモミジ】

【光悦寺のモミジ】
【鷹ヶ峰について】
間もなく鷹ヶ峰に、秋の訪れを感じさせるモミジの紅葉が始まりかけています。鷹ヶ峰は鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰の三山を背後にして、はるか市中を展望する台地上に位する集落をいいます。旧市内より杉坂を経て周山に至る周山街道上の要衝にして、いわゆる京の七口の一つである長坂口にあたります。この地には、むかし毎年鷹がやってきて雛を生んだので、その山を鷹ヶ峰と称するようになったといわれています。その真偽はともかく、往古は遊猟地であったことは『類聚国史』に795(延暦14)年桓武天皇が遊猟に行幸され、また、淳和天皇も行幸されたといいます。中世は大徳寺領となり、北部の山中には大徳寺の末寺の隠居寺が多く建てられましたが、早く廃退いたしました。
鷹ヶ峰が集落として発展するに至ったのは、近世初頭に本阿弥光悦が一族をひきいて来住し、次いで日蓮宗の檀林(学僧の学校みたいなものでしょうか)が設けられてから。それから周山街道の要路にあたるところから物資の集散地となり、各種産物の問屋が軒を並べ、宿場としても栄えました。しかし、国鉄山陰線が開通し、明治37年には右京区高雄・梅ヶ畑経由の新しい周山街道ができてからは、まったく衰微したといいます。
10 月
25
2008

東福寺通天橋の紅葉
【東福寺通天橋】
昭和36年の再建。通天橋の舞台下には洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷があり、ここには桜の木がない?吉山明兆(きちざんみんちょう)が足利義持に申し出た話に、「東福寺の衆徒が桜を愛するあまり境内に多くの桜の木を植えれば、後世おそらく遊興の場となろう。よって願わくばこれを禁じられたいといったので、義持は大いに感激し、桜の木を伐らしめた。」と伝わる。禅に桜は似合わない。通天橋は開山堂への道。彼岸への道かもしれません。常寂光土への道しるべが紅葉なのでしょうか。
東福寺の詳細
10 月
24
2008

西本願寺のイチョウ
【水吹きのイチョウ】
水吹きの銀杏(逆さ銀杏)といいます。市の天然記念物に指定されていると思います。樹齢300余年。苗木の時に逆さに植えられたから、横に広がる状態になったと伝えます。天明の大火の時、高温にさらされて一気に水を噴き出し、お堂の焼失を免れたといいます。一般的に寺の回りに銀杏の木が多いのは、銀杏の葉は燃えにくく、耐寒耐暑性があり、防風・防火林として用いられてきたことによるといわれています。明治の再建である東本願寺の中央分離帯に銀杏が木が多いのは、二度と火災にあわないようにと、信者の方々の祈りが聞こえてきます。
10 月
22
2008

嵯峨大覚寺の中庭のカエデ

嵯峨大覚寺大沢の池の紅葉
大覚寺沿革
嵯峨天皇の離宮を876年(貞観18)、淳和天皇の第二皇子・恒寂法親王が開基となり寺に改め、代々法親王が住持した門跡寺院。鎌倉時代、亀山天皇や後宇多天皇が入寺されて院政を行ったため嵯峨御所と呼ばれた。この皇統は大覚寺統(南朝)と呼ばれ、他の皇統、持明院統(北朝)と交互に皇位につくことになっていたが、後醍醐天皇でこの原則が崩れ、さらに足利尊氏が持明院統を擁立した事から、南北朝の争いに発展する。1392年、足利義満の時、この大覚寺において講和が成立、南北朝合一となる。
10 月
13
2008

三千院往生極楽院前の紅葉
往生極楽院前のただ一本ですが、結構紅葉していました。そのほかの木々はまだ緑色です。わらべ地蔵を過ぎてお不動さんに至る参道の空を見上げると、木々が色づき始めています。もうすぐですね。大原はこれからにぎわうシーズンです。

宝泉院の参道を見上げました。
今年のJR東海のコマーシャルは大原ということで、大変な混雑が予想されます。宝泉院のアプローチの天蓋のカエデもそろろ色づきだしました。この連休を過ぎれば、まだ、静かな時を過ごせるように思います。ぜひ、休日をはずしてお越しください。
10 月
09
2008
9月の花の写真を動画にまとめました。
お楽しみください。
10 月
08
2008

研修会第64回 志明院仁王門前にて
【志明院】岩屋山金光峰寺と号し、不動明王を祀るので、世に岩屋不動と称される。寺伝によれば、孝徳天皇の頃、役小角の草創と伝え、829年(天長6)淳和天皇が空海のために堂宇を建立し、鎮護国家の祈祷を修せしめられたという。宇多天皇が勅願所とされてより寺運は次第に興隆したが、中世兵火にかかって荒廃した。のち、足利氏の帰依を得て再建されたが、1831年(天保2)失火によってほとんど焼失。仁王門・鐘楼を除いて主なる建物は、明治以降の再建。
志明院の境内は、写真撮影が許可されていません。山内を歩いてみるとわかりますが、足もとが悪く、苔などで非常に滑りやすくなっています。カメラなどに気を取られていたら、大変なことになるように感じました。御参拝はくれぐれも足もとに、ご注意ください。

紅葉の始まり円通寺
【円通寺】この地には、はじめ後水尾上皇の幡枝御殿(幡枝茶屋)とよぶ山荘があったが、修学院に本格的な山荘を造営されてからは、1672年(寛文12)、山の茶屋は近衛家に下賜され、御殿は霊元天皇の乳母であった贈左大臣園基任の息女、円光院文英尼公に下賜された。尼公は、妙心寺の禿翁和尚を開山とし、臨済宗妙心寺派の寺に改めたのが起こり。
10 月
07
2008

紅葉のはじまり
銀閣寺のお山は、もう紅葉が始まりかけています。
文明14年(1482)、室町幕府、8代将軍・足利義政は将軍職を実子・義尚に譲り、祖父・義満の造営した北山殿(金閣)にならって、東山山荘を造営、義政の死後8年後に完成、遺言により寺となり、相国寺に属した。義政が集めた珍器類や伽藍は、銀閣・東求堂を除いて、その後の兵火で焼失する。寺名は義政の法号慈照院殿にちなんでいる。

現在は修復中です。