Archive for the ‘京都の路’ Category »
5 月 29 2008
★京都観光タクシーのご案内/京都観光タクシー同友会
【洛中 南北路(先斗町~佐井通)-8】
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【七本松通】平安京の皇嘉門大路にあたる。通り名の由来は、この通りの下ノ森に一株七本に分かれた松があったとか、または、一夜にして七本の松が生えたとかいわれている。現在の道の開通は、秀吉の市街地改造で、寺町通、寺之内通と同じように市中に散在した寺院を集めて生まれた通りである。
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【御前通】平安京の西大宮大路にあたる。通り名の由来は、北野天満宮の御前の道というところから、近代以後に通称されるようになった。平安京の時代には大内裏の西側の大きな道路であり、幅員24mに達するものであった。
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【天神通】平安京の西靫負小路にあたる。通り名の由来は、北野天神にちなむほか、この通りに沿って一ノ保社(時鳥天神、現北野天満宮内)と文子天満宮(現北野天満宮内)が所在していたことによる。
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【西大路通】平安京の野寺小路にあたる。小路名の由来である野寺は、一条大路の北辺にあり、飛鳥時代の創建、秦氏の氏寺でもあった寺で、一説には広隆寺の前身であるとされている。しかし、平安末期からは田園化し、近世には洛外の農村の位置にあった。この西大路通が昭和18年市電の開通で京都市街の外郭線として完成した。
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【佐井通】平安京の道祖(さい)大路にあたる。通り名の由来は、西院(さい)の地名、南の佐比河原の地名にちなんでいる。また、【春日通】は、春日神社に由来し、佐井通とともに使用されている。
5 月 28 2008
【洛中 南北路(先斗町~佐井通)-7】
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【大宮通】平安京の大宮大路にあたる。通り名の由来は不明。五辻通から元誓願寺通までは、通称、糸屋町。「糸屋町には、傘いらん」西陣の人はかつてこう言った。家々は紅殻の千本格子に虫籠窓で、深い軒下(かしき造り)をもっていて、雨の日に命より大事な生糸を守ったという。
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【智恵光院通】秀吉の京都改造後にできた通り。通り名の由来は一条上ル西側に浄土宗・智恵光院(1294年創建)という知恩院の末寺による。
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【壬生川通】平安京の壬生大路にあたる。「壬」が水を意味し、水に縁が深いことからの命名かも知れない。壬生川通りというが今、その川はない。また、この通りは二条大路で平安京の大内裏の美福門に突き当たるため美福門大路とも呼ばれた。二条城の西側【美福通】の由来である。
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【浄福寺通】秀吉の京都改造後に開かれた道で、笹屋町下ルの浄土宗・浄福寺が通り名の由来である。寺は平安時代に創建、現在地に移転したのは1615年。
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【坊城通】平安京に坊城小路にあたる。通り名の由来はわからない。坊城小路一帯が「壬生」と呼ばれ、水と係わりあいが京野菜の壬生菜、芹などを産した。
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【千本通】平安京の朱雀大路にあたる。平安京造営時、朱雀門から平安京南端の羅城門まで、幅85mの朱雀大路が一直線に通っていた。また、いつの頃から千本通りと呼ばれたかは明らかではなく、通り名の由来については、千本の卒塔婆が道の両側に立ち並んだとも、千本の桜が並木をなしていたとも言われている。
5 月 27 2008
【洛中 南北路(先斗町~佐井通)-6】
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【油小路通】平安京の油小路にあたる。通り名の由来はわからない。この通りは、千本通りに次いで南北に長い通りで、秀吉が「お土居」をめぐらしたときに、その中心線を油小路通りにおいたと言われている。
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【醒ヶ井通】通り名の由来は、左女牛井跡による。左女牛井は、もと源氏の堀川館の井戸と言い、あたりに住んだ室町中期の茶匠村田珠光がこの水を好み、足利義政にこの井戸の水を汲んで献茶したと伝える名水の井戸のこと。
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【堀川通】平安京の堀川小路にあたる。京都の中央部を南北に貫く堀川に、その名が由来する。堀川の水源は明確ではないが、平安京造営以前まで、鴨川がこの川筋を流路したという説がある。先の戦争の終戦間際に、空襲による火災の類焼防止策として西側の民家が強制疎開、幅50mに道路に拡張され幹線道路となった。
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【岩上通】秀吉の京都大改造後の通り。通り名の由来は、六角下ル岩上町に、「岩上神」を祀る岩上宮と中山神社(石上寺)があることによる。岩上は岩神とも。
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【猪熊通】平安京の猪熊小路にあたる。平安時代のれっきとした通りであるが通り名の由来はよくわからない。猪熊通りは当初から「猪熊」であったかどうか、鎌倉期に書物には「猪隈」と書かれている。
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【黒門通】秀吉の都市改造後の通り。通り名の由来は、秀吉の聚楽城の鉄門があったためと思われる。
5 月 26 2008
【洛中 南北路(先斗町~佐井通)-5】
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【新町通】平安京の町尻小路にあたる。町尻小路とは近衛大路~中御門大路間に修理職町があり、その北側を町口、南側を町尻と言ったことによる。修理職町とは宮中の修理事業一切をつかさどる工人たちの町。町尻小路がいつ頃から「新町通」の名で呼ばれるようになったか不明であるが、『京町鑑』には「新町通」の名が見える。この通りが商いの通りとして発展し、にぎわった為ではないだろうか。
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【釜座通】この通りは1590年に新開されたされた通り。通り名の由来は、三条通りあたりに釜座があったことによる。鎌倉時代より釜座の存在がすでに知られており、現在も、大西家という京都ではもっとも古い釜師が仕事を続けている。
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【若宮通】北域では【釜座通】。この通りの由来は、六条西洞院にあった若宮八幡の神領を貫いてつくられたところから、そう名付けられたという。若宮八幡は現在、五条大和大路東入ルに移転しており、その後、住民が祀った神社が鎮座している。
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【西洞院通】平安京の西洞院大路にあたる。建設当初は、幅員24mの大道であり、通り名の由来については、東洞院通りを参照。
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【小川通】秀吉の都市改造によって登場した新道。この辺を南流する小川があったことによる。この通りは、高辻以南、【天使突抜通】または【東中筋通】とも呼んでいる。
