10 月 09 2008
9月の京都の花動画です
9月の花の写真を動画にまとめました。
お楽しみください。
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4 月 18 2008
4 月 18 2008
4 月 13 2008
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広沢に佐野藤右衛門の植藤という、造園屋さんがあります。代々仁和寺の桜守として知られています。戦争中のことですが、佐野家の土地には、全国各地から蒐集した桜の木が植えられていました。昭和十九年、太秦の警察署から、食糧増産のためといって桜の植えてある造園の土地に、芋などの作物を作るよう命令を受けました。丹精に育てていた桜の木を切らなければなりません。十万本の木があったといいます。三万本を各所に寄付し、なかでも三百本の優良種を近くの宇多野療養所(現宇多野病院)に贈り、その時の桜が、今は立派に咲き誇っています。何分、病院なので、迷惑のかからないよう、一条通りから宇多野の桜を楽しんでください。かくれた名所ですが、くれぐれも、院内に入っての桜見物はお控えください。
参考資料「桜のいのち・庭のこころ」佐野藤右衛門著
4 月 04 2008
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◆一口(いもあらい)
難しい京都の地名の代表格。三方が沼・巨椋池(おぐらいけ)で、一方しか入口がなかったため「一口」というが、なぜ「いもあらい」と読むのかよくわからない。宇治や京都への水上交通の入口であったため、都への疫病「穢瘡(えも)・疱瘡」の侵入を防ぐためのお祓い所があり、穢瘡(えも→いも)を洗い流す所だったといわれている。
東京神田に「一口坂(いもあらいざか)」という地名が残っていて、その近くに「太田姫稲荷」がある。その社伝には、太田道灌の娘が疱瘡にかかったとき、山城国一口の稲荷を、神田に祀ったと伝えており、そのことから「一口坂」という地名が残ったという。しかし、ただ単に「一口」で芋を洗っただけの由来かもしれない。実のところは、よくわからない。
巨椋池は昭和8年から昭和16年にかけて、干拓がおこなわれ、当時京都府で最大の面積を持つ淡水湖であったが、干拓後は農地となった。一口は、漁村から農村に生まれ変わった。巨椋池の川堤・久御山町東一口(ひがしいもあらい)の前川堤の桜は、昭和40年頃に植樹され、洛南では、もっとも有名な花見の名所となっている。