11 月 17 2008
11 月 14 2008
化野念仏寺の紅葉(08年11月14日)
11 月 05 2008
八瀬・瑠璃光院(08年11月5日)
【八瀬・瑠璃光院】
この地は、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛されてきたといいます。本願寺門跡もしばしば訪れたと記録に著され、明治の元勲三条実美公は、当地の庵に「喜鶴亭」と名付けました。その後、大正から昭和の初めにかけて、一万二千坪の敷地に数寄屋造りの建物を築造、また、自然を借景とした名園を作庭されたといいます。

【瑠璃の庭】瑠璃色に輝く浄土の世界を象徴的にあらわした庭といわれています。

【かま風呂】日本式蒸し風呂の原型であり、「八瀬のかま風呂」の現存する希少な遺構です。以前、近郊にある山ばな平八茶屋で、食事のあと、かま風呂に入らせていただきました。室内は、約60度程度で裸になって入るのですが、ちょうど暑さ寒さを感じないぐらいな温度でした。しかし、そのうちに汗がだんだん出てきて、やはりサウナのようになりました。結構気持ちが良い状態ととなりました。ぜひ、一度お試しください。この瑠璃光院では、入れません。
京都観光タクシー同友会の観光タクシーのご案内
11 月 04 2008
高台寺の初秋(08年11月4日)
【高台寺の初秋】
高台寺は慶長10年(1605)、豊臣秀吉の正室・北政所が秀吉の菩提を弔うために創建されました。徳川家康が北政所の歓心を買うために、財を惜しまず寺の造営を援助したといいます。また、伏見城の一部を移築したりして、かつては壮麗な寺院であったといいます。庭園は、小堀遠州作と伝え、東山を借景にした庭園です。開山堂を中心にして、西は偃月池、東は臥竜池といい、夜の特別拝観の時、臥竜池に映し出される紅葉には、驚かされます。天地がひっくり返ったような、底のない風景がそこに、演出されています。ぜひ、一度、訪れてみてください。
11 月 03 2008
初秋の大原三千院・宝泉院
【初秋の大原三千院・宝泉院】
大原は市中に比べて、寒さが厳しいところです。少しばかり期待をもって、観光のご案内をいたしましたが、紅葉の見ごろというわけにはいきませんでした。もう一週間もすれば、見ごろとなるかもしれません。三千院参道の紅葉とその往生極楽院本堂にかかる紅葉、瑠璃光庭の千両です。また、宝泉院参道の紅葉とその鶴亀の庭のドウザンツツジの紅葉を撮影いたしました。11月3日現在の大原は、本格的な秋を迎えようとしています。
11 月 02 2008
曼殊院門前の紅葉
【曼殊院門跡】
竹ノ内門跡とも呼ばれる天台宗五門跡の一つです。比叡山延暦寺の座主は、この天台宗五門跡から選ばれるといいます。現在の延暦寺の座主は、先の曼殊院の門跡(住職)です。このお寺は、もと比叡山西塔あり、東尾坊とよばれていましたが、点々とところを変え、明暦2年(1656)、現在地に桂離宮を造営した八条宮智仁親王の次男、良尚(りょうしょう)法親王が再建、造営いたしました。そのせいか、いたるところに桂離宮との関係を感じることができる、洛北屈指の名刹です。先年、JR東海「そうだ、京都行こう」でこちらの勅使門にかかる紅葉がテーマとなり、この奥まったところにある名刹に、人々が殺到、大変な渋滞を引き起こしました。今年は、静かな紅葉狩りになりますようにと祈っております。
10 月 29 2008
東寺の秋の風景
東寺の秋の風景
【東寺(教王護国寺)】
延暦13年(794)の平安遷都後、東寺の造営がはじまります。工事なかば823年に、嵯峨天皇から空海にお寺が勅賜され、真言密教の根本道場となります。平安末期、源平の争いで荒廃しましたが、文覚上人が復興に努力、源頼朝の援助を得て再建が行われたといいます。しかし、1486年、土一揆の群集が境内にたてこもり、伽藍のほとんどが焼失。現在のおもな伽藍はその後から江戸初期にかけての再建です。平安時代から当初建立の位置もかえず、1200年以上もお寺が、そこにあり続けている現実は、京都の誇りとでもいいましょうか、驚愕するものといえるでしょう。
10 月 28 2008
大覚寺門跡の嵯峨菊
【大覚寺・嵯峨御流】
大覚寺門跡の玄関に嵯峨菊の花が飾られていました。まだこれからだと思いますが、ほんの少しだけ花が咲いていました。由来については、嵯峨天皇が大沢池の菊ケ島に自生していた野菊を持ち帰り、花瓶に投げ入れたところ、その趣が「天、地、人」の姿になったと云われ、「後世、花を愛でる者は、これを範とすべし」と仰せられたといいます。このことから大覚寺は「いけばな発祥の地」ともいわれて、嵯峨御流の家元となっています。菊ケ島に自生していた嵯峨菊は、品種の改良がおこなわれ、独特の花弁の形を持ち、一鉢に三本を立て、花は先の方が3輪、真ん中が5輪、下の方に7輪と七・五・三に花をつける独特な形をしています。本番は11月初旬でしょうか。
10 月 28 2008
鷹ヶ峰の紅葉
【鷹ヶ峰について】
間もなく鷹ヶ峰に、秋の訪れを感じさせるモミジの紅葉が始まりかけています。鷹ヶ峰は鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰の三山を背後にして、はるか市中を展望する台地上に位する集落をいいます。旧市内より杉坂を経て周山に至る周山街道上の要衝にして、いわゆる京の七口の一つである長坂口にあたります。この地には、むかし毎年鷹がやってきて雛を生んだので、その山を鷹ヶ峰と称するようになったといわれています。その真偽はともかく、往古は遊猟地であったことは『類聚国史』に795(延暦14)年桓武天皇が遊猟に行幸され、また、淳和天皇も行幸されたといいます。中世は大徳寺領となり、北部の山中には大徳寺の末寺の隠居寺が多く建てられましたが、早く廃退いたしました。
鷹ヶ峰が集落として発展するに至ったのは、近世初頭に本阿弥光悦が一族をひきいて来住し、次いで日蓮宗の檀林(学僧の学校みたいなものでしょうか)が設けられてから。それから周山街道の要路にあたるところから物資の集散地となり、各種産物の問屋が軒を並べ、宿場としても栄えました。しかし、国鉄山陰線が開通し、明治37年には右京区高雄・梅ヶ畑経由の新しい周山街道ができてからは、まったく衰微したといいます。
10 月 25 2008
東福寺通天橋の紅葉
【東福寺通天橋】
昭和36年の再建。通天橋の舞台下には洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷があり、ここには桜の木がない?吉山明兆(きちざんみんちょう)が足利義持に申し出た話に、「東福寺の衆徒が桜を愛するあまり境内に多くの桜の木を植えれば、後世おそらく遊興の場となろう。よって願わくばこれを禁じられたいといったので、義持は大いに感激し、桜の木を伐らしめた。」と伝わる。禅に桜は似合わない。通天橋は開山堂への道。彼岸への道かもしれません。常寂光土への道しるべが紅葉なのでしょうか。
































